電車のなかで化粧をする女の子に思う

R-bodyに向かう山手線のなか。
行きの電車に、コンビニのサンドウィッチを食べ、パック入りの牛乳を飲んでいる女の子がいた。
帰りの電車に、鏡を片手に念入りに化粧をしている女の子がいる。

電車のなかで大きな口を空けていたり、目を見開いたり、口をすぼめたりする。
なんで、こんな女の子たちが出現し始めたのか。


2006年10月の情報処理学会誌「新世代ネットワーク : 新世代ネットワークによって変わる社会」に浅見徹氏が、この現象をネットワークにたとえて語っている。

  • 「筆者が育った、ちょっと前の日本の田舎では、「あそこのうちの長男は、10歳過ぎまでお尻にアザ(蒙古斑)があったといった話が普通に交わされていた。村人の目という究極のセンサネットワークが存在していたわけである・・・このようにして、プライバシーと引き換えに安心を手に入れていたのが村社会であった」
  • 「・・共同体意識、悪く言えば村意識といったものは、今日では望むべくもなくなってしまっている・・・満員電車の中で化粧や朝食を食べる人たちがいるのも、お互い面識がない(お互い物言わぬ石も同然)という理由であろう。日本的な恥の美学の喪失である。」
  • 「(公衆電話網は)電話による人間の通信活動をポアソンン分布と指数分布に基づく行動モデルで捉え、・・・このモデルは単純ではあったが、このような人間の社会活動にまで立ち入ったシステムを構築することは、それ以降ついに成功できずにいる」
  • 「(インターネットは)・・利用形態はさまざまであり、利用モデルを作成しにくい・・・言い換えれば、インターネットにより実は人間はネットワークから疎外されてしまったのだともいえる。近年のspamメール、DDos、フィッシング等々、種々のセキュリティ上の問題がクローズアップされるのは、人間の行動をシステムの枠外においてしまった。人間疎外のアーキテクチャに起因している」


日曜日の山手線にはアジアからの女の子たちや家族連れを多く見かける。日本はアジアから憧れの地と見られているのか、きっと土日を利用して、原宿、渋谷、新宿などに買い物に来たのだろう。その子たちは、旅行の楽しさから、はしゃいではいるが、モノを食べたり、妙な顔はしていない。


恥ずかしくない国に戻るためには、どうしたらよいのか?
次世代ネットワークを人間主導にするためには、どうすればよいのか?

こんな光景に慣れ始めていることのほうがこわい。いまならまだ間に合わないか。