ひらめきは快感
茂木健一郎氏の「ひらめき脳」。これはかなり良い本。「国家の品格」「電波利権」などと同じ新潮新書。出版業界の数字はわからないが、おそらくこのシリーズはヒットを続けているのではないか。内容もさることながら、読んでいる途中で感じたことが、そのわかりやすさ。文章だけではなく、論理や構成も含めてだ。謝辞を読んでわかったが、茂木健一郎氏が語ったことを編集者が文章に起こしたそうだ。プロが書くのだから、このわかりやすさも納得だ。こうして次々とヒット作を生んでいくのであろう。
- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/04/15
- メディア: 新書
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伝わってきたメッセージ。
- ひらめきは快感である
- ひらめきは頭がカラの状態におとづれる
- 歩いているなどの状態でひらめきはある
- リラックスしていない状態では頭が別のことに働いてしまい、ひらめきが得られない
- ど忘れで思い出している状態。実はこれもひらめきを待っている状態と同じであり脳には快感 (どうやらど忘れでGoogleは利用せず、あの気持ちの悪い状態を続けた方がよさそうだ)
- これはたとえば数学者が永遠に説けない問題を考え続ける快感を知っていることと同じ
- ひらめきは無からは生まれない。膨大に蓄積された記憶から生まれる
- 記憶はつねに編集されつづけている(本当の事実は記憶され続けない)
- その編集された記憶がひらめきにつながる
- そうすると、記憶が豊富な高齢者のほうがひらめきはある
- ただし「体験×意欲」であり、年を取ってもひらめきのための意欲が必要(岡本太郎のように)
- ひらめき自体が不確実なものであり、不確実な状況で生まれやすい (不確実なことから逃げないことが大事)
- 行動を起こしてこそ、ひらめく