あと5年遅ければ
長男が受験をした。通っていた高校は自由奔放を旨とする学校であり、暗記などという受験スキルを教えなかったらしい。そのため、暗記は、トランプの神経衰弱と大差ない「ゲーム」であるというルールがわからないまま今年を終えてしまった。しかし、あと5年あれば、暗記などというものが不要になるかもしれない。
昨年の暮れに、「ザ・サーチ」を読んだ。
- 作者: ジョン・バッテル,中谷和男
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2005/11/17
- メディア: 単行本
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Googleは、インターネット上にあるすべての情報をつないでいる。そのサイトは30億とも言われている。当然、そのなかには、世界史の年号や人物、出来事、場所、後世への影響や考察などはすべてある。英単語などは当たり前だ。関数式だってあるし、計算すらしてくれる。そうなると、モバイルPCでGoogleさえ持ち歩ければ、これは自分の頭脳と何ら変わる事がない。せめて問われるのは、時間内に答えを見つけるというスキルだ。
長男が受験した大学のひとつに英語辞書持ち込み可というところがあったらしい。これが5年後、モバイルPC持込可にならないという保証はどこにも無いだろう。いや、顔認証技術までケータイに搭載される時代だ。試験場に来る必要も無いかもしれない。そうなると、考える力が合否を決めるようになるはずだ。そういう教育こそが求められる。5年後といえば、長女が受験するころだ。PCのスキルでは兄にも劣らない。私などは及びもしない。しかし、長女の中学はいまだに暗記型の教育をしている。つまり、論理を構築する力を養う機会が少ない長女は、結局、長男と違う苦労をするのかもしれない。
最後に忘れてならないことがある。それは、この世界中の暗記が苦手な受験生を救うかもしれない神経系統の頭脳は、米国にあるという事実だ。