おバカなアメリカへ

またしても更新が久しぶりになってしまった。昨年後半は2.5GHzの周波数獲得プロセスで随分とエネルギーを使う。ここで学んだことは、ほとぼりが冷めたころにまとめようかと考えながら、ラスベガスに到着。

これまで蓄積した快適旅行の術を思う存分発揮するつもりだった。しかし、今回も、そうそううまくは行かず。いつものとおり、おバカなアメリカは楽しませてくれている。

今回は滞在も長いので、久しぶりに機内持ち込み用トランクの他に、大型のスーツケースを持ってきた。なんとなく、何か起きそうな予感がしていたのだが、ずばり的中。これが、おバカなアメリカを堪能させてくれた。

成田空港でのチェックイン。911以降、搭乗する際のセキュリティの厳しさにはウンザリしてしまう。来るたびに厳しく、面倒になっている。チェックインで預けるスーツケースの鍵を開けておけと言う。着替え、靴、本などしかパッキングしていないので、何かあっても被害は少なかろう。とはいえ、鍵が壊れて中味が散逸したら、どうするのだろう?とも思う。あちこちで荷物を投げ込んでいる光景も目にすることだし。

レッドカーペットクラブのおかげでラウンジを利用できる。これだけはユナイテッドが良い。しかし、機内サービスは相変わらず。エコノミープラスで席は充分なスペースだが、大きなスクリーンに映画。全くワクワク感も無い。

8時間程度のフライト。さほど疲れも感じず、ロスに到着。これからがおバカの始まり。入国審査で散々並ばされたのは我慢。もう少しラインを増やせば良いのにとも思うが、「合理化」追求の国だ。この程度は許そう。散々、待たされたこともあり、わがスーツケースはすでにロータリーですぐに発見。

そのスーツケースを引きずりながら、コネクティングフライトの表示に従い進むと、ユナイテッドのカウンター。そこで聞くと、そのすぐ横で乗り継ぎ便用のスーツケースを預かると言う。とまどいもあったが、預ける。そのときから、ずっと、「これはまずいかも?」が心によぎる。このように山積みになっているスーツケースの山をひとつのタグだけで管理できるのだろうかと。

乗り継ぎ便はUSエアー。ターミナルが違うと言う。空港間の無料シャトルで別のターミナルへ。USエアーのターミナルに行くと、USエアーの国内線のチェックインカウンター。このカウンターがあるのならば、スーツケースを持って来れば良かったと、また思う。

再度並ばされ、セキュリティチェック。その都度、パソコンを手荷物から取り出し、靴を脱ぎ、おまけにベルトまで外す。こんな面倒になってしまったのは、テロ対策のためだろう。アメリカはハイジャックした航空機でビルに突撃までさせるような行動を起こさせるまでに相手を追い込んだのではなかろうか? と政治問題まで考えだす。

その一方で、これだけの混乱した状態を、それなりに良く管理していることには驚く。こんなにたくさん人を、それなりにさばいている。何か問題が起きて当たり前だろうに。

乗り継ぎに3時間は費やし、やっとの思いでUSエアーのゲートに到着。多くの日本人が待つなかで、なかなか搭乗を開始しないなと待っていると、いつものとおりの「お約束」。フライトが遅れると言う。シャトル便なので、ラスベガスからロスアンジェルスに向かう便が遅れたため、到着次第、折り返しフライトをするらしい。当然、ここでも、預けたスーツケースを積み込む時間など無いよなと、また思う。もし、無事荷物が到着すれば、このおバカな国のシステムも見捨てたものじゃないなどとも考えた。そして、1時間遅れで搭乗。



預けた荷物が到着しない


ラスベガスに到着。案の上、ロータリーで荷物をピックアップするほかの搭乗者たちを最後まで見送る。

やはり、わがスーツケースは到着していない。これだけ、たびたび疑う気持ちが湧いていれば、心の準備はできている。まったく冷静に、すぐ目の前にあるUSエアーのバッケッジサービスと書かれたオフィスの列に並ぶ。本来であれば、こんなオフィスがあるなど、気がつきもしない。私の前に数人、後ろに数人並んでいるところを見ると、ここにオフィスを構えておくだけのニーズがあるのだろう。

このオフィスで、預けた荷物のタグを見せる。名前やフライトなども告げると早速調べだした。フライトがキャンセルされたためだとか説明している。そのあとのフライトの遅れだか、キャンセルだかで、いつ到着するかわからないらしい。ファイルナンバーという問い合わせ番号が記載されたクレイム用書類をもらう。そこには、問い合わせ用の電話番号も記載されている。800番のトールフリー番号が印刷されているが、その横に電話番号を手書き。あとで、電話してステイタスを問い合わせろとのこと。もちろん、遅れて届いた荷物はホテルまで配達すると言う。

以前も同行者に同じことが起きたことがある。 その経験で、結局はホテルに届けてくれるものだと安心していた。とはいえ、こうなる予感がしたのであれば、何か対策ができなかったものだろうかと考える。



荷物が到着しないときには


ホテルに到着。何度か指定された電話番号に連絡する。たらい回しになるかもとの予感は見事に外れる。このファイルナンバーを伝えると、まだ到着していない、何時にもう一度電話してくれ、などそれなりの対応をする。明らかに、どこに荷物があるかは把握している。

何度か電話をしたが、呼び出しが続き応答しない。そこで、800番のトールフリーに電話をしてみる。これが難物。音声応答。アルファベットのファイルナンバーを発音するが、その都度、まったく違うアルファベットを相手の音声応答のシステムが復唱してくる。たとえば、こちらはL(エル)と発音しているのに、O(オー)と復唱されたりする。昔も同じことがあった。音声応答のシステムが「どこの空港か?」と聞いてきた。こちらは必死で(ニューヨークの)ラガーディアと繰り返す。だが、本当に悲しいことに、音声応答システムは、その都度、「ロスアンジェルスか?・・・」と違う空港名を自動音声で確認してくる。つまり、こちらの発音をシステムが理解してくれないということだ。正しい日本の英語教育を受けてきたはずなのに。

結局、このトールフリーへの電話はあきらめる。自分の発音が悪いと、素直に反省もするが、多様な人種が住むアメリカに通用するシステムなのだろうかと、また考える。荷物が到着しないというのは、ある種の緊急事態。合理化も良いが、困る人もたくさんいるだろう。英語を話さないウチの母親が同じ目に遭ったならば、どうするのだろう。添乗員でも同行していないと途方に暮れるのだろう。折角の海外旅行も台無しになってしまう。

ネットや携帯の技術でも、最近はユーザーインターフェースが注目されている。そのひとつとして、音声入力が紹介されることがある。このおバカなアメリカの音声応答システムよりも遥かに技術は進んでいるのかもしれない。だが、100%の完成度になるなど絶対に無いのではないかと思う。人間同士でも相手の言うことを聞き取れないことは良くある。これからの日本も多様な人種が集まる国になりそうだ。いまでさえも、言葉で苦労している人たちもたくさんいるだろう。また、中国で、こんなシステムが導入された日にはたいへんなことになるはずだ。

荷物は翌日の夕刻にホテルに配達された。ホテルの留守電には荷物が空港に到着したともメッセージが残っていた。なんだ、できるじゃないか、と少しはおバカなアメリカを見直す。いや、逆に、このようなケースはかなりの数があって、そのトラブルに対応するプロセスやシステムが完成されているのだろう。それはそれで、たいしたものだ。

モノを大量に消費する国だ。人の動きもこんなふうに大量に処理されている。日本は人口が減り、個人消費も下がり、そうなれば経済大国ではいられないと否定的に言われることが多い。しかし、そうだろうか。人が減るということは、少ないながらも、ひとつひとつの事象を丁寧に扱うことができるようになるということではないか。なんだか、そちらの方向を目指すことも良いように思い始めてきた。

そうなると、「国際競争力だ」、「そのための合理化だ」、「その結果として失業や貧富の格差は当然だ」などという議論には素直に納得できなくなる。無駄な仕事も多いに結構。合理化などせず、仕事を分け合い、それなりの給料をもらい、みんながそこそこの生活をするというワークシェアリングの考え方にも一理ある。特に、死ぬまでに使い切れないような資産を、少ない人たち、それもちょっと運が良かっただけの人たちに集中させておくことが、本当にあるべき社会の姿だろうか。

こういう議論には、リスクをとった者や、努力した人が報われるとか、報われないとか、のような反論が付き物だ。だが、それは「報われる」という意味合いに対する理解の仕方の違いだろう。「カネの多寡」や「贅沢の度合い」で報われたと判断する世の中全体の価値観がおかしくはないか。人や世の中に役立っていることを、みんなが喜びに感じることで報われたと考える社会でありたい。少なくとも、江戸時代などを見るに、日本人には備わっていた資質のように思える。そのため、そのような分配主義をとっていたソ連や中国のような失敗には陥らない国民性だったのではないか。

ただ、問題なのは、いまの日本の状況だ。道徳という概念すら存在しないような事件が多発している。そうなると、もはや後戻りはできなくなってしまったのかもしれない。荷物が到着しないだけで、そんなことまで考えた。

おバカなアメリカにも良いところはある。ラスベガスのマッカラン空港の無料WiFiが使いやすくなっている・・・。