インターネットは誰のものか

総務省の谷脇氏の著作を読む。

インターネットは誰のものか

インターネットは誰のものか

総務省の「ネットワークの中立性」に関する研究会資料をずっと読んでいれば、内容やファクトが真新しいということは無い。この本のバリューは、大量の資料を読まなくとも、わかりやすい言葉や事例で、この研究会で集めたファクトや議論した内容のエッセンスがわかるという点にあるのだろう。

物心がついたころからインターネットを利用している世代は、ぜひ読むべきだ。回線交換が当たり前の世代にとっては、インターネットが登場、いやその登場前から、指摘していた問題が顕在化してきたということだけのことだ。

空気は別としても、ガス、水道、電気が仮に定額で使い放題であればどういうことがおきるだろうか、という問いに対する答えだ。世の中の人が全員同じ量を利用するなどということはありえない。ある人はレストランを経営し、一般の世帯より遥かに多くのガス、水道、電気を利用するだろう。商売でたくさん使う人と、一般生活のために最低限しか利用しない人。そのそれぞれが、同じ金額しか負担しない世の中を想像してみればよい。無限に供給される世界であれば、問題も少なかろう。しかし、供給量に限りが見え始めたときに、問題に気がつき始める。

この本の示す解決策は、P2Pや帯域制御などの技術、またはコスト負担のルール作り。さらには、NGNなどの新しいIP網にあるようだ。いずれもぜひ進めて欲しいものだが、何となくすっきりしない。それには2つの理由がある。

ひとつは、「インターネットは本当に有限か?」という疑問だ。光ファイバーの大容量化技術はさらに進む。インターネットのルーターだって、さらに低価格化が進むのだろう。単に電気信号を送っているだけだ。希少金属や石油のような地下資源ではない。時間とともに解決されてしまいそうな気もする。とくに、各種業界の抵抗もあるらしくIPマルチキャストでインターネット網に地上波放送を送ることは、早々には実現しないようだ。そうなれば、当分のあいだは混雑にも余裕もありそうだと、所詮は楽観してしまう。

もうひとつは、インターネットは、そもそも根本的に「価格メカニズムに誤りがある」のではないかという疑問だ。使った量に応じて料金を負担してもらうという従量制は、レガシーの通信事業者が自分の世界を守ろうとしていただけではない。P2Pで一日中ファイル交換をしているような、半ばプロのような利用をする人にはそれなりの負担をしてもらおうという考え方が根本にあったはずだ。さもないと、メールやブログ程度にしかインターネットを利用しない私が、そんなプロのようにジャブジャブ使う人の費用を結局は負担していることになってしまう。この不公平感はぜひとも解決して欲しい。少なくとも、普通に利用している人が値上げされたり、ネットワークが混雑して迷惑を蒙るようなことだけは避けて欲しいものだ。そう考えると、小手先の方法ではなく、産業構造自体を抜本的に変えなくてはならないようにも思う。

そう考えると、NGNのように通信事業者が管理したIP網が出現することは良いことなのだろう。インターネットが酷い状況になれば、みんながNGNに移り始める。そうなれば、インターネットが多少とも混雑が緩和され、自由な世界が好きな人には都合が良くなる。サクサクとファイル交換ができるだろう。双方ハッピーだ。ニーズに応じて棲み分けすればよいだけだ。

少なくとも私の場合は、「同じ程度の料金」で、Googleが使えるのならば、インターネットでなくとも、通信事業者が管理してくれているIP網で一向に構わない。