ボストン美術館に行ってみる

昨晩は仲間と飲み、ホテルに戻る。そうなれば、さすがに眠れた。とはいえ朝の4時30分に目が醒める。寝不足だったせいか、飲みすぎが頭が重い。こういうときは、すぐに頭痛薬を飲んでしまう。しばらくは、ボーっと過ごす。このままずっとダラダラしていようかと思う。しかし、しばらくすると、せっかくボストンまで来ているのにという気持ちがムラムラと湧いてくる。そうして重い腰を上げる。

地下鉄に乗り、ボストン美術館に向かう。このボストンの地下鉄は、とてもおおらか。駅にはチケットの自動販売機があるが、1回乗って2ドル。2回乗るならば4ドル、一日乗るなら9ドルと、至ってシンプルな料金。そのため、行き先に応じた料金ではない。

こうなると、日本に来ている外人が日本の電車に乗るのはさぞかし苦労するだろう。きっと、懸命に行き先を探し、その料金を自動販売機に投入するのだろう。また、一日券というのも自動販売機で簡単に探すわけにもいかず、旅行するためには、かなりの事前知識が必要になりそうだ。

また、駅ごとに異なる。昨日は、駅にチケットの販売を手助けしてくれる女性(どこも黒人だった)が居た。しかし、違う駅に行き、座っている駅員に行き先を確認しようと地図を見せると、文字が読めないようなことを言う。適当に発音してみると、わかったようだった。今日のボストン美術館前の駅は無人駅。駅にたった1台、チケットの自動販売機が置かれているが故障中。これは、タダで乗れるのかと思いきや、地下鉄がバスのようになっていて、入り口に乗務員がおり、自動の販売機でチケットを買うようになっている。つまり、同じ地下鉄に乗るにも、駅ごとにサービスが異なるということだ。

こういう経験をすると、日本の鉄道やバスのシステムは、駅員の態度がよいかどうかは別にしても、サービスは均一化されている。これがコストが高くなる原因であろう。しかし、どちらが快適かと言えば、多少高くとも、日本の方が遥かに安心だ。困れば、助けてくれる人がつねにいるという感覚は持てる。

このボストンは、とても安全な感じがする街。その昔に住んでいたロスアンジェルスとは大違い。ロスアンジェルスにいたときは、人前で財布やドルを見せるなと言われた。金を持っていると思われると襲われるからだとか。しかし、最近ではこちらの気持ちが緩んでいることもあり、またボストンの安全な空気を感じ、ついつい、人前で札束が入っている財布から、1ドルを引き抜いている。なぜだか、ドルは財布との相性が良くなく、財布から抜き出すのに苦労する。ロスアンジェルスだったら、横から財布をさらわれそうな油断の仕方だ。

ただ、知人に聞くとボストンは働く場所としてよいかは微妙なようだ。車に不便らしい。街が小さいこともあり、パーキングが少ない。そのため、地下鉄で通うことになるが、アメリカらしく駅から歩く距離が長くなる。郊外に住むと結構たいへんだと言っていた。