「フューチャリスト宣言」と「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか」

全く眠れない。メモリーを食いそうな不要なファイルを削除したので、DVDは順調に視られそうだ。音楽だって聴き放題。しかし、この静かな夜。何となく騒がしいのもどうかと思う。そうなると本を読むか、ブログを書くか。本は読み始めるが、目が疲れて長く読めない。しかし、なぜか、ブログでも書こうかという気になる。

最近、ブログを更新していなかった期間に読んだ本。「フューチャリスト宣言」。いまが旬の二人の対談をまとめたものなので、とても面白く読む。ただ、どうしてもひっかかるのが、作者は1日の大半をネットの前で過ごしていると言う。特に最近は人に直接会わずとも、ネットを見ていればだいたいの動きがわかるという境地にあるそうだ。こうなると、それでは何故、米国にいるの?という疑問が湧くし、逆に、米国の環境の良いところにいても、充分に仕事ができるのか、と妙に関心したりする。

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自分のいまの状況を考えれば、まさにそうだ。Gmailで家から次々とメールや写真が送られてくる。本来であれば、こちらからも写真を送りたかったところだが、そこは已む無し。また、逆に時差があるため、こちらで眠れない夜でも、日本は昼間。丁度良い退屈しのぎになる。

ネットの無い時代の海外出張は夜が最悪だった。眠れないと、することが全くなくなる。バーだって夜は閉まってしまう。なんだか、ほんの数年前には、早く夜明けがこないかと悶々と過ごしたことが思い出される。そうして、明け方になって急に眠くなって、朝の待ち合わせに遅刻したり。

さて、途中まで読んであったが飛行機のなかで読み終えた本。「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか」。当然、こちらもネットの先駆者が語るもの。長い文章を書かないという作者に代わり、プロが本にしている。そのため、文章の歯切れもよく、たいへん読みやすい。しかし、ネットを視る視点が全く異なるのが面白い。これは、ネットの技術者がネットを語っている。そして、2ちゃんねるは、ある意味で、必要悪のように自らが認めているように読める。さらには、2ちゃんねるは、国民のガス抜きのために、国家も手をつけられない存在であり続けるという立場。仮に、2ちゃんねるがつぶされても、同じようなサイトが出現するであろうし、それが妙に乱立すると、国家としても管理しにくくなるというもの。

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自分では2ちゃんねるにアクセスすることはめったにない。ときたま盛り上がっているときにアクセスする程度。その際にも、とても疲れるので、たびたび訪れようという気になれない。おそらく、ノイズが多すぎるのだろう。ただ、それを楽しんでいる参加者が多いこともたしかなのだろう。丁度、いまの自分のように、夜通し起きているという状況で、ネットのむこうから何がしかの反応が返ってくれば、それはそれで、ある種の一体感を味わえるはずだ。

最近では徹夜をすることなど皆無。ただ、こんな時間を過ごしてみると、なんだかいろいろなことを考える。