高田純次 「適当論」

テレビで高田純次を観ていると、思わず、「こうなりたいなぁ」と合いの手を入れているようだ。家族に言わせると、何度も言っているらしい。自分ではあまり深く考えずに反応するままに話している。

高田純次は、なんだかいつも意味の無い会話を繰り返し、肩の力を抜いて生きているように見える。そんな生き方も良いなと潜在意識で思うのでだろう。本屋に、高田純次の「適当論」が並んでいた。思わず手にとってしまう。

適当論 [ソフトバンク新書]

適当論 [ソフトバンク新書]

本当に、適当な本。
高田純次が何かを書いている本ではない。和田秀樹との対談模様が前半。和田秀樹が分析した高田純次像が中盤。最後は、高田純次語録。

本人を意味する「私は」という主語はなく、つねに「高田純次は」が主語だ。高田純次について書かれているのは間違いないが、書いているのは高田純次ではない。結局、いま高田純次について書けば売れるという企画だ。

間違いないのは、高田純次のようなノリに対して興味を持っているのは、自分だけではなさそうだということだ。