M&A

 10年も前になるだろうか。何千億円、何兆円もで、企業を売買するなんて、なんてカッコいい仕事だろうと思っていた。その数年前には米国のビジネススクールでひととおりの理論も学んでみた。今回、思い出してみようと、本を読んでみた。この本を読んで、当時の記憶が蘇ってきた。

M&A最強の選択

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 というのは、実に単純な理屈で会社の価値が決められているんだ、という思いだった。計算式自体は、おそらく中学生の算数の水準だ。もちろん、ベータ値などは回帰式が必要なので、到底手計算の範疇を超えており例外だ(しかし、当時は手計算で学んだが)。

 しかし、通信業界に籍をおき、次々と最大と言われるディールに直面し、企業価値の計算など、ほんの小さなプロセスに過ぎないということが、よくわかる。仲介する金融機関にとっては、うまくいけば、一度に数億、数十億が転がり込む。それも、その案件が大きかろうと小さかろうと、いわゆる作業は大差ない。そうすれば、大口をねらいたくなる気持ちは良くわかるし、呼び水を向けたくなる気持ちもわかる。だが、顧客を抱え、事業を運営するサイドからすると、手続きが完了したら終わりという訳にはいかない。そのあとの、混乱や変化を乗り越えるためのエネルギーは相当なものだ。そこに働く、個人としての人生も大きく変わらざるを得ない。

 服部氏は仲介者の立場であったようだが、そのことを良く理解しているようなのが救いだ。理論や計算式の説明は、本の3分の1程度しか割いていない。これは、理論が単純なので、多くのページを割けないということもあるのかもしれないが、多くの実例を述べ、教訓を示している。さらに人間を取り巻く物語りまで成功例として語ってる。そのなかで、グッと来たのが、ダーウィンの進化論の引用だ。「生き残るのは、最大の種ではなく、最も知能の高い種でもない。それは、変化に強い種だ」とある。まさに、この一言のために、そこまでのページがあったかのようだ。ただし、この良く引用される言葉を見ただけでは、何ら感動が伝わらないことは充分わかっているが。

 ビジネススクール時代の財務の講義は、当時なので、ブラック=ショールズあたりで理論の説明は終わったように記憶している。そして、そのあとの講義は、ほとんどの時間、哲学を聞かされているという印象だった。いかに人は行動するかという内容だったような気がする。当時は、正直言って、良く理解できず、こんなの試験に出されたらどうしようなどと考えていた。しかし、いま聞けば、心に染み込んだかもしれない。結局、どんなに高度な技術や理論を駆使しても、本当の答えにはたどり着けないからであろう。むしろ、売り買いのためならば、双方にとって共通言語は単純なほうが良いくらいだ。ただ、本当に突き詰めれば、企業は何故に存在し、どう生きるべきかといった根源にまで遡ってしまうのだと思う。

 「企業は株主のためのものである」というのは絶対に詭弁だと考えるに至っている。
これは、人の総体である企業をモノであるかのように売り買いする際の罪悪感を和らげるためだ。何ヶ月だか、何年だかわからないが、一定期間で株式を買って売ったりする人たちのものでは絶対にないはずだ。企業は、到底、人間がひとりでは提供できない価値を顧客に与えるためのものであり、それを実現する従業員たちのためのものであり、もちろん金融機関や株主だけではない、取引先をも含む経済社会という生態系のためのものではないだろうか。そういう人格に類似した存在を売買することの意味を十分に考えるべきだ。