縁、スピリチュアル、言霊

「バベル」は、ほんの小さな出来事が、国や時代を超えて、連鎖的につながることを描いた映画。最近、同じような事象に出会った。縁とはこういうことかという出来事だ。人によっては、スピリチュアルと呼ぶのかもしれない。また、言霊(言ったことが、浮遊し、何かの事象につながること)と言われてもおかしくない。


子供が受験した。1回では済まず、繰り返した。本人にしか理由はわからないが、能力の問題ではないことはわかっていた。何のために勉強するのか、または、大学に行くのか、さらには、自分が何をしたいのか、答えが見つからないのが原因だと見ていた。


自分の受験を何度も思い返してみた。自分も同じだった。ただし、自分はもっと要領が良かった。自分の進む道は全く決められなかったが、将来の選択肢が多いほうが良いと考えた。単純に受験誌や予備校が上位にランクしている学校の方が、人生の道を選ぶ自由が多かろうと思った。正確に言えば、自分の道を決めることを4年間先送りしたとも言える。その人生の自由を手に入れるためには、1年程度の我慢はできた。少なくとも、若いときにはその考えは間違っていなかった。就職も容易だったし、社会にでても、競争のスタートラインは少し前に引かれていた。


子供にも何度も同じ話はした。しかし、彼は頭ではわかっていても、心や身体が受け入れなかった。結局のところ、自分に強い負荷をかけずに時間を過ごした。


しかし、「縁」としか言えない結果となった。彼は、私の祖父が教授をしていた大学に進学した。彼の希望校では無かったし、知らなかった。しかし、彼が願書を提出するときに、その大学を加えるように、私は深い考えなく言った。それは、自分の母親が、30年も前に私に対して、困ったら、そこに行くようにと話していたからだろうと思う。常に頭の片隅にあったのかもしれない。その言霊が、自分の子供に伝わった。


その大学に入学することが決まると、父親も母親もだが、祖父にお世話になったという父親の仕事仲間が喜んだ。すでに亡くなっている祖父への恩返しが、その孫である、私の子供に対して出来ると語っている。


その大学に行けば資格が取得できる。特殊な分野ではあるが、絶対に無くならない。子供にとっては、自ずと道が決まった。自分では決められなかったが、導かれた。わずか数ヶ月前には、周りの誰もが想像もしていなかった道だ。しかし、いまは、それを前向きに受け入れている。その姿勢をみると、親であるこちらが驚くくらいだ。彼の祖父母である私の父親と母親も、喜びながらも驚いている。


もし、スピリチュアルというのであれば、祖父が困っている彼に道を与えたのだろう。言霊というのであれば、母親の言葉が私の潜在意識から、このときとばかりに世に出現したのだろう。生物学的にはDNAに刷り込まれた記憶が行動を促したのかもしれない。いろいろな分析はあるが、ひとことで言えば、「縁」だ。


こうして考えてみると、私の祖父の仕事やお世話をした人たちが、時代を超えて、私の息子に影響をあたえている。自分の生きているときに目指す思いに向けて、少しでも近づけるよう努めることが大切だ。自分の子孫はもちろんであるが、家族、友人、さらには、あとに続く人々や社会に影響を及ぼすからだ。私の子供が経験したように。