わかりやすい論理 2

 著者は「会社は誰のものか」というテーマに対し、かなり長い期間、「ビットを立て続けてきた」ことが、この本の随所に伺える。電通総研時代のネットの世界や、最近の同氏のテーマと見受けられる「ブランド」を研究するなかで、つねに、「会社とは」、「経営とは」、「経営者とは」という問題意識を持ち続けてきたのであろう。


 そのうえで、ライブドア事件を契機に、受け手の「ビットがたっている」タイミングを読み、同書を出版している。もともと、学生時代には、タッキーニを着こなしテニスが上手く、時代のトレンドにつねに敏感だった同氏。空気を読む力は、送り手には欠かすことができない。どんな立派な主張や提言であろうと、タイミングが悪ければ、なかなか伝わらないものだ。


 また、その広範囲なネットワークのなかで、つねにブレインストーミングを繰り返し、語ることで、その仮説を固め、確信を深めていったことは想像できる。そこで、行き着いた「会社は誰のものか」という問いに対するオプションを3つ掲げている。

  • 会社は国家・国民のものである
  • 会社は株主のものである
  • 会社は従業員のものである

 このオプションを掲げた上で、同氏の仮説は、「会社は株主のものである」と意識しながら、それぞれのオプションを検証してゆく。具体的な検証には、ネット企業で起きていること、歴史から学べること、海外の事例、ビジネス理論の引用、身近な体験を用いている。


 その検証を通じて、「会社は株主のものである」という見方が優勢になっていると結論を導き、企業経営、ブランド、経営者、ガバナンスのあるべき姿を主張し、提言するという構成である。


 同書の面白さは、その検証に用いられた事例にある。それが、論理を理解しやすいものにしている。ネットでの炎上など、同書や同氏には彩りが添えられている。しかし、同書の手法は大いに学べる。

 ただ、私は、上記の3つのオプションからひとつを選び出すということは、出来そうにない。おそらく、3つのオプションの組み合わせと答えるであろう。それは、会社とは、到底ひとりでは成し遂げられない目的を達成するために集まる仲間(=Company)であり、社会(=会社)の生態系の一部であると考えているからだ。