あふれだしていますね

 「波長があう」と言う。評価はいろいろわかれそうではあるが、斉藤孝氏の著作はまさにそうだ。少なくとも昨年までに出版している書物は相当数読ませていただいた(全部読んだと思っていたが100冊以上著作があるとは・・)。最近は、同氏が伝えたいメッセージはほぼ想像がついてしまい、新作には手を伸ばさなくなったほどだ。同氏は本業としている身体コミュニケーションに留まらず、たいへん多くの分野の著作がある。同年代ということが大きな要因だとは思われるが、例えば、「巨人の星」を見て育ったらしいこと、われわれの年代では大学時代にブームであったテニスに打ち込んだこと、(ユリゲラーやオウムに衝撃を受けたのかもしれないが)「気」などの分野にまで造詣が深いこと、「スラムダンク」も好きそうなことなど、同氏が喩えとして語ること、引用している事例のすべてが、「あー、あれね」とうなずいてしまう。


 もちろん、同氏の本業であるコミュニケーションを中心とした理論に関しても、おおいに共感させていただいている。特に強く印象に残るのは、「声にだすこと」の意味だ。昨日書いたコーチングの本質もこの行為にあると見ている。すなわち、あることがらを心から信じるためには、自ら「声にだす」、「話す」ことが重要なきっかけを作る。これは、絶対に正しいことが無い不確定な世の中で、自分自身の迷いを吹っ切るためにも意味がある。さらに、相手をその気にさせるためにも、効果がある。
声に出して読みたい日本語三色ボールペンで読む日本語


 コーチングの基本は、指導ではない。受け手自らの行動を促すことだ。そのためには、自らに気が付かせることが重要になる。コーチングでは、ある程度長い時間をとり、相手にどうしたら良いか考えさせ、語らせる。こうして、自らが口にだし語ったことは、自分の意見や考え方となり、結果、行動が変わってくる。日本の寺子屋教育の基本が、復唱や暗唱であったこととも符合する。この教育方法により、日本人は孔子孟子を自らの行動規範となる道徳として身につけるようになってきたと想像している。


 ただ、斉藤孝氏はテレビのコメンテーターでも良く見かける。鋭い指摘も多いが、どうにも話過ぎではないかとも思う(?)。実は、ここにも妙に共感してしまう。きっと、世の中に問いたいことがあふれだしてしまうのだろう。さらに、話しながら、自分の自信と考えを深めてしまう。私も、おまえは、しゃべりすぎだと友人から揶揄されていたっけ。