ドラえもん最終回の読み方

ネットで急にドラえもん最終回が盛り上がっている。
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最近漫画を読まない。そのため、読むのに時間がかかり、一度読み直して前後関係が理解できた。理解できたときには目頭が熱くなっていた。
娘に見せた。娘はすぐに黙った。漫画に慣れている世代だ。すぐに理解した。
家内に見せた。漫画は随分読んでいないので、読みにくいと言いつつ読み始めた。読み終わったあと、そんなに面白いかと怪訝な顔をした。どういう話なのか説明した。家内はもう一度読み始め、理解できた。
長男に見せた。彼はすでに都市伝説となっている、いくつかのドラえもんの最終回を読んでいた。もちろん、すぐに理解できた。

そのあと、もう一度、改めて読み直した。その前で数度にわたって語られている「タイムパラドックス」の解釈に迷い始めた。なぜ、この話が「タイムパラドックス」なのか? 最後の場面では、のび太としずかちゃんは子供に戻っている。これは、のび太がタイムマシンを発明したという意味だろうかと、家族に問うた。娘はそう理解していた。家内もそうであろうと考えたようだ。

長男は、のび太ドラえもんを直した(造った)と理解できていた。長男に、それでは、なぜ、のび太としずかちゃんが子供なのかと尋ねた。それは比喩法だと答えた。それでは、なぜ、タイムパラドックスという布石を散々打っているのかと尋ねた。答えが明確ではないので、しばらく考えることになった。

そしてこう考えた。

本来は、未来は過去の積み重ねにある。同様に、未来の技術も、過去からの技術の蓄積の結果として存在するはずだ。しかし、このドラえもんは未来から現在に訪問してきた技術だ。のび太は、その未来の技術を現在造った。

簡単に言えば、「ドラえもんとは、一体、誰が造ったのか?」という問いだ。この最終回では、のび太が造ったという答えだ。そうなると、大人になったのび太が造ったドラえもんが、のび太の子供時代を訪問してたということになる。そして、その子供時代に失ったドラえもんを、のび太は一生涯かけて造った。

この現象をタイムパラドックスとして語っているのであろう。

こんなひとつの題材でいくつものことを考える。同じものを見ても、人によって解釈が異なる。何度か読み返して、考えて、初めて、その意味がわかる。

そのことを理解しながら、書いたり、語ったりして、人にモノを伝えることが必要なのだろう。